メイド喫茶の女の子はすぐに股をひらく

  
さてはて、先日もつぶやきましたように、長生きは本当に良いことなのかどうかという問題に対し議論や争論をもちろんしていきたいと思います。
無論、俺ひとりでするつもりです。(♪BGM: グッバイ・シャロン / 猫叉Master)

月明かり射し込む東海の宵。
夜の帳は文才の味方。
水面に映る己の姿がより一層想像を掻き立たせてくれる。
そうか、と俺は気づいた。俺こそが平成の宮沢賢治その人なのだと。
これから埋め尽くされるであろう白画面を前にした俺は興奮から汗が止まらず服を脱ぎ始めた。何故か。
はっ!そうか、と俺はまた気づいた。これこそが世に言う中2シンドロームなのだと。
恥ずかしさのあまり血圧が上昇してしまったではないか。

とて。
とて、である。
冷房を効かせるにしてもそれはそれで、なにやら自分生き急いでんじゃね?という感じがしてままならない。どうにもこうにも。
いや、待て。
昨今はやはり「ECO」の心がけが重要視されるご時世でありますから、現代人日本代表みたいな顔をしたこの俺が6月の分際で冷房などつけてどーするといった話ですよ。ウンヌンカンヌン…。

さっそく疲れてきました。本題に入ります(遅い)


【長生きは本当にいいことだろうか?】

という疑問を抱いたきっかけは、よくあるニュース。
最近、高齢者ドライバーが原因の死亡事故が連日のように報道されますよね。
もう日常茶飯事ってレベルで。
昔はきっと、己の身体の挙動に支障をきたし始める頃までには寿命に達していたでしょうから、そもそも70を過ぎたようなご高齢が走る凶器(=車)を運転する場面などなかったのだとご想像できます。
しかし。
時世は平成となり21世紀になるにつれ、医療はそれまでの歴史上類を見ないほど加速度的に著しく発展してゆきました。よもや天井知らず。
そんな中、医学の最先端を切り開いてきた先生方々はもはや人間などではなく全知全能の神にも匹敵するなにか別の、真新しい生命体なのやもしれぬ…。という妄想を抱かせるほどの勢いだったと思われます。
無限の可能性を秘めたDNAが織りなした、ヒューマニズム現代アートか。
あるいは宇宙から来訪したキモチワルイ星人かのどっちかです。
また脱線しました。ごめんチャイコフスキー
あ、言い忘れてましたけど当鉄道会社はよく脱線事故を起こすのでご了承ください。
筆者の生まれ育った故郷では「道草迂回は当たり前。行き当たりばったりこそ崇高でROCKな人生の歩み方」だという信仰があるのでその辺はあきらめてください。

ってことで平均寿命が極端に高くなった現代だからこそ起こる現代現象のひとつで、その報道多発による疑問からこの現象を由々しき自体だと認知したこの俺がブログに書き起こすに至った次第だと言えるでしょう。大袈裟でなにより。
運動能力だけではありません。知らず知らずのうちに脳の神経細胞は衰えているものでありますから、反射神経や動体視力、注意力の散漫に至るまで樋上いたるまで、危険を伴う水準まで低下しているものです。
そしてその大半が、本人が無自覚な場合がほとんどかと思われます。
その無自覚を放置し続けた結果、家族に悲しい思いをさせる…なんてことはできればなくしていきたいですね。
生きることは大切なことです。それまでの人生で築き上げてきた人間関係が広く長ければこそ、その人たちと一日でも長くいられたらそれはとても幸せで価値のあることで。だからこそ少しでも長生きしたいと思うのは当然のことです。
なので長生きすることも大切なことには違いないです。
しかし無駄に長生きすることは必ずしも良いとは言い切れないように思います。
家族に多少の迷惑をかける・他人の厄介になる…誰しもが人間なのである程度は仕方がありません。それが厳然たる人間の証拠です。
しかし自分の踏み加減ひとつで0キロにも120キロにもなる車を運転させるのは、やはり違うと思います。
車は「自動車」と言いますから、それこそ勝手に動く鉄の塊も同然です。
わたくし的には、そもそもがまず正常な思考を持ち合わせた家族がそろっていながら、そんなものを80も90も迎えたご老体に運転させるに至るその経緯こそ如何様なるものか。と言ったような内心ですね。

そんな感じでまぁ結論からしますと、
“生きることは大切です
長生きするのも大切です
無駄な長生きはできれば避けたほうが身のためです”
といったような意見ですね。まるで生命保険会社のコマーシャルみたいだ。
ざっくばらんとしていてつかむ所がない。ペチャパイかこの野郎。
そんな感じです。
ご静聴ありがとうございました。


続きまして、我らが奏でるROCKの時代。あたしが高校生だった頃の、実に有意義で薔薇色だった鼻くそみたいな青春日常風景をダイジェストで振り返ってみたいと思います。
「は? てめぇのノロケ懐古特集なんざ興味ねーよ。帰れ」
と仰る方はさっそく今から2chまとめサイトのリンクでもクリックしてここから退避してください。
ブログはブログですから、筆者が書きたいことを赴くままに書く。それを否定される筋合いも義理もこちらにはございませぬ。

ブログとはオナニーです。(極論)

文字という文字を司り、ときに現代への不満をぶちまけてみたり。
ときにオノレ自身の過去を想い偲んでみたり。
ときに田舎の自動販売機の隅にへばりついたカマキリの可愛さをフォロワーと共有してみたり。
嗚呼、なんという愉悦でしょう。
日本語という文字をザラザラと並べているだけでこんなにも世界が広がるではないか!お金もかからないし。
日本人に生まれてよかった。
日本人に生まれていなければ、今頃東南アジアの局地で色とりどりのボロ布をアメリカさま向けにキルティングして輸出する布小僧かなんかで生計を立てていたことでしょう。そんな人生は嫌だ!
日本語こそ文化の最果て。その美しく繊細な表現という可能性の上で、僕という語彙力のクズがせいぜい頑張ってお伝えしてゆきますぺこり。
これが古き中国の甲骨文字や石鼓文(せっこぶん)、はたまたドラゴンを召還する龍文字だったときには僕は挫折という名の前にひざまづき、二度と文字文化と接触することのないただの魚として広大な海を泳ぎ疲れてはある日浅瀬で死んでいたことでしょう。プカプカ。

であるからして日本語とは尊き文化であり、これからその日本語を使って我が青春時代をセピア色に染め伝えていこうという予定であります。
予定なんだけれども余計なことに時間をかけすぎたせいで書こうとしていた思い出が頭の中で散逸してしまった。なんてことだ…。

このような状態をよく世間では『おもひでぽろぽろ』と言います。もしくは言いません。

これでは僕の輝かしいオタクライフ…いえ、イケメンすぎるハイスクールライフをお伝えできないではありませんか。

悲しいかな、人生は思い通りにならないことばかりだ。