6歳年下の彼女が夜景を一望できるスイートでふしだらに裸体を躍らせている。

 

高校の卒業を間近に控えていたときだった。
多様な音楽に精通する彼と意気投合した俺は、彼をバンドに誘ったり世話になっていたスタジオに招きともに煙草を燻らせたりと、充実した日々を送っていた。

その日もけたたましいディストーションが鳴り響くスタジオで、俺は彼と将来について語り合っていた。ROCKだった。
「…え? カメラだって?」
不意を突かれたように俺は問うた。
そのときの俺は、実におもしろい顔をしていたことだろうと思う。
「ああそうだ。ウチは両親とも公立中学の教員やってるんだけどな。俺はそういう堅苦しいのゲロ吐きそうだから、とにかくアウトローな職に就いてみたいわけよ」
篠山紀信的な?」
「バカヤロウ。女の裸なんか撮ってどーすんだよ」
「じゃあ被写体はなんだ。あ、もしかして俺か? おう、すまんな。俺そっちの気ないから無理ですわぁ」
「殴んぞ?」
「おーこえーこえー。やっぱり鈍器はアレですか。一眼レフですか?」
「自慢の一台があるっちゃあるが、貴様の穢れた血液で汚す気はないな」
「ニコチンまみれですしね、僕」
失笑。
…。

このようなやりとりをしていた直後のできごとだったと思う。
俺と彼はお互いに新たな感性を磨くという名目で、タイに赴いた。
未成年の、好奇心の戯れだったと思う。篠山キシンへの憧れだったと思う。(ダジャレ)

バンコク中央駅から連絡する地下鉄で東へ30分ほどの位置に、クロントゥーイというスラム街がある。
俺たち一行(二人しかいない)は覚めやらぬ興奮を前に衝動を抑えきれないでいた。抑えられるはずもない。ズボンにはおかしなテントが張っていた。
腹が減っては戦はできぬとよく言ったもので、記憶が正しければすぐさま食事処に駆け込んだと思う。
確か、メニューに書かれた値段とはかけ離れた金を請求され二人して声を荒げたような記憶がある。
まだ幼さを残した若僧であったこと、そして日本人であったことが災いし店主は俺たちをナメにナメきっていた。
現地の言葉をあいさつ程度は勉強していたが、早口でまくし立てる上になまりも入っているので、さっぱり分かるはずもなかった。
「ヒョーー!! スンダラピラ、コッタムチャコワッターナ#$%&hかほいd*`>m…」
みたいな感じ。
ものすごい剣幕で迫る店主の顔面に向かって、俺の親友はドリアに似たタイ料理の皿を投げつけたのである。
…終わった。
ただでさえ臭かったタイ人の顔が、さらに臭さを増しただけである。
短い沈黙の後、店主がなにやらぼそぼそと独り言のように呟いている。
通用口の類なのか、店主はカウンターの後方にある扉を数回ノックしていた。
再び沈黙が訪れたが、すぐに扉の奥から人が出てきた。
タイ人だった。(当たり前)
タイ人なだけでなく、不幸なことに筋骨たくましい大男で、片手に平然と銃を握っていた。
「マジかよ…」
彼が力なく言った。
「まじかYO…」
俺はなぜかB系だった。
典型的なIWGP世代だった俺が咄嗟に口にしてもおかしくはないセリフだった。
逃げた。ひた走った。
男性学生二人が、得体の知れない闇の街でワケも分からず東奔西走した一日だった。

それからのことは、よく覚えていない。
割と治安のいい街で安ホテルに寝泊まりし、日本人観光客ご用達のタイ料理店で食事をとり、5日ほどが経過したところで帰国したと思われる。
今にして思えば、日本と近しい関係にあるアジアを選んでいてよかったと思う。

が、同じような過ちを俺はまた犯すのであった。今度はひとりで。

大学の頃に、卒業論文の一環でイスラエルに赴いたことがあるが、当時は内紛の火花も最高潮であり過激派のテロによる外国人記者の拉致などが連日先進諸国で報道されるような時期だった。
そういった中東の治安情勢に対して漠然とした負のイメージしか抱いていなかった俺はそこで、現実の違いを思い知らされた。
明日のメシも保証されないような窮した中東の地域なら、ガキでも銃を扱えた。
張り詰める緊張感。統率のとれたアメリカの仲裁軍がひっきりなしに無線で呼応する中、黄色い砂ぼこりとオフロード車のエンジン音だけは不思議と安心感を与えてくれた。
ICレコーダー、ボールペン、ノート、カメラ、サバイバルナイフ、ロープ、食料、水…。
荷物も必要最低限に、卒論のための実地の記録が目的だったのにいつの間にか仲裁アメリカ軍の無線車の中で荷物番をさせられていたこともあった。
命を左右する危険の真っ直中のエリアではなかったし、正式なアメリカ軍が側にいたので特に被害はなかった。(そもそもそんなところにいる時点で被害なわけだが)
予定外の体力と精神力を浪費し、両足フラフラの状態でなんとか帰り着いた俺はそんなこんなで論文をまとめ上げ、満を持してメデタイ卒業を迎えたのである。

ちなみに提出した論文は上記の内容とは一切関係のない、魚類の生態とDHAが人体にもたらすメリット~とかそんなような代物だった気がする。
中東の惨状を記録した論文は、使い慣れた100円ライターで焼き払ったと思われる。

…。
こんな感じだろうか。
長らくブログを更新していなかったが、過去の記事はどれもメイド喫茶に関する内容か、あるいはサブカルチャーへの皮肉めいたウソっ子記事でありました。
だもんで、今回は割と真面目な中二病エッセイ(ノンフィクション)を書かせていただきました。
どうだ、つまんないだろう?
笑ったら寝ろks。



おしまい